小笠原から帰ってきてやることは山積みながら、トッシーが山で採って来てくれたバナナを見つめたり、久しぶりの母島レモンを丸ごと食べてみたり、嵐のように過ごした父島、母島のことを想って過ごしています。
よく島の人に「いつ頃島に住んでたの?」
と聞かれることがありますが、私は一度も住んだことはありません。
歌を歌い始めた21年前の9月にしかも動機は、
「泳げないし、南の島に興味がない」
「まわりの行ったことがある人たちがあまりいい感想を言っていなかった(笑)」
「遠い」
「なにより船が苦手」
歌い始めたばかりで戸惑うことが多く、なにか苦手なことをしてみようというのが理由でした。
ところが、2航海いた父島は楽しいことばかりで不便さもほとんど感じることなく、見たこともない美しい海もジャングルもどんどん私をワイルドにしてくれ、島のみんなはありったけの時間を私と遊んでくれていっぱい呑んだ!
行った理由などすべて忘れて島のみんながただただ大好きになって、真っ黒になって帰ってきた。
そして、帰りのお土産に島の歌を録音したカセットをフローラのきみちゃんにもらった。
大平京子さん、エーブルさん達が歌う無伴奏の古謡、南洋踊り、聞けば聞くほど謎だらけ。
まさかこの歌がその後の私を導き続けてくれるとはその時はまったく思っていませんでした。
オリジナルの曲が中心だったし、民謡的なことをやりたいとも思っていなかったし、島のみんなが大好きだから付け焼き刃で軽薄になるのも嫌だった。
しかし、そこは当時のバンドリングリンクスのメンバーのみなさんの力が多いに働いてますが、やってみたらすごくしっくりして、まだあまり知られていないこの歌を多くの人に聞いてほしいと思うようになりました。そしてあまり歌われなくなっていたこの歌を島のみなさんが改めて誇りに思ってくれたら嬉しいなって(若かったので傲慢ですが(笑))
実際はバンド活動は短いものだったしどれほどの貢献ができたかはわかりませんが、20年近く行くことができなかった小笠原にまた行くことができました。
私が行っていなかった時期に小笠原を旅し多いに盛り上げ、「Boninの島」という名曲を島にプレゼントした石田長生さん。
石田さんの大ファンの小出さんの強い想いで実現した昨年の「コモ」でのライブ。
みんなに会えて、みんなに歌を聞いてもらえて半分死んでた心がまーるくなりました。
今回は、当時からの友達のまなみちゃんのフラの祭典。そして19年ぶりの母島。
自分なりに、新しいテーマを持ちたいと思い、古謡以外の歌、「マイディア ボニン アイランド」そして、「アオウミガメの旅」を自分なりに歌ってみたいと思ってのぞみました。
そしたらなんと!島の大同窓会のツアーのみなさんと同じ移動旅。その中に「アオウミガメの旅」を作曲された当時音楽の先生をなさっていた大浜先生がいらしていてたくさんお話しを聞くこともでき、ライブを楽しんでいただくこともできました。
「マイディア ボニン アイランド」も大平さん、母島の可愛い子供達と一緒に歌うことができました。
小笠原は不思議な島です。初めて行った時から私の心から離れたことはありません。私の曲にでてくる海はすべてあの島の青です。
みんなみんなありがとう。ライブの写真や映像などアップしていきたいのですが、その前にちょっとセンチメンタルに語ってみました。
今は亡き、大木のお父さん、みー、今回のライブにはきっとそらから参加して、私に「のぞみちょっと落ち着け」と言っていたことでしょう(笑)